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姫路市飾東町佐良和 (播磨の地名あれこれ・・・2008年9月号に掲載) |
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姫路市の南東部、山陽自動車道と播但連絡道が交差する山陽姫路東IC付近に、難読地名の「佐良和」集落がある。 |
文禄3年(1594)の領地を記した目録に五二○石の「さらふ」、慶長国絵図には佐良村、他に佐羅和などが見えている。 |
語源はどこから来たのだろうか。「不明」とする出版物が多い中で、片岡善亀著『兵庫県の大字名全解』にはまずは伝説を紹介。奈良時代に記された『播磨国風土記』の選者の楽浪なる者この地に由緒あるらしく、楽浪が佐良和に転化とある。
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さらに、「さろお」は「さろ」の転化で突出する個所をいう。尾根が市川に迫る突出尾根の東面する山麓とも記述されている。 |
つまり、「さろ」は断崖の立岩、崖地、突出部を指しており、「お」は尾根で、その地を開墾して集落が発達したことになる。 |
「さらふ」の「さら」については、手の加わっていない土地、低い山の頂上の意で、「さる・ざれ・さろ」なども同じ意味を持っている。しかし「ふ」を「お」と読ませ、なぜそれに佐良和という漢字を当てはめたのかわからない部分が多く、今後、調査の余地は残っている。 |
鎮守の大歳神社は、江戸時代に藩主の本多忠政が忠刻・千姫夫妻のため、男子出産を祈願して社領三万石を寄進したという。 |
集落の南を一乗寺から円教寺に続く巡礼道が横切り、文化8年(1811)を刻む道標がある。 |
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